北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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きねんはしと読みます。

紫川の源流を求めて 橋巡り欄干巡り第2部ー1

字がよく見えないのですが、高徳橋でしょうか
国道322号線の通る中西橋です。
紫川橋の欄干巡り第2部の始まりです。
振り返ってみると、橋の欄干の投稿は、おじさんの生活圏の紫川桜橋で終わるつもりでした。しかし、北九州好きの投稿仲間に背を押され、板櫃川、紫川源流域への、新たな挑戦となり、その結果、多くのことを知り得る貴重な時間となりました。
これは、私の背を押してくれた投稿仲間のお陰であり、心より、感謝を致します。ありがとうございます。
これからもみなさんと切磋琢磨して、北九州の魅力発掘に努めたいと存じます。板櫃川源流のウオーキング後の目標も模索中です。
さて、今回、紹介する橋は、25番目から27番目になる「きねんはし」「たかとくはし」「なかにしばし」ですが、その前に桜橋に関する報告を致します。
梅雨の谷間の某日、モノレール徳力嵐山口から、紫川源流を求めてウオーキングの第一歩を出しました。24番目の桜橋の少し手前を左に、紫川沿いの道路を進みます。空は梅雨特有のどんよりとしており、小さな雨も・・・
その川沿いの道に「小嵐山」と書かれた市の掲示板が立っていました。
それによれば、小倉城主細川忠興とその父幽斎はともに風雅を好む武将であり、この桜橋付近が京都の嵐山に似ており、京都嵐山から桜の木を取り寄せて、この一体に移し植え、「小嵐山(こあらしやま)」と呼ぶようになったと書かれています。
幽斎は『豊国(とよくに)の嵐(あらし)の山の麓(ふもと)川 岩越す波は桜なりけり』と詠んだといいます。この歌が桜橋の由来のように思えます。また、嵐山の由来が京都だあったことを思えば、板櫃川の三条橋以下も何がしか京都との縁を感じ得ずにいられません。
さて、「きねんはし」と聞いて、どんな漢字を思い出しますか。私は「記念」「祈念」を思い出しましたが、漢字の書かれた欄干でびっくり。亀年橋でした。その由来は橋を架ける工事中に川から大きな亀が出てきたそうです。珍しい由来と思います。ただ、橋は架け替えがあったようで平成22年竣工とあります。
亀年橋を過ぎると二つの川の合流部です。正面の川は支流の東谷川です。紫川の本流は右の方から流れてきます。そして、次の橋は「たかとくはし」です。この橋の竣工は大正11年とあり、相当に古い橋です。そのため、欄干の銘板も写真では読みづらく、おじさんの鑑定は高徳橋です。皆さんはどう読みますか?
27番目は国道322号線が通る橋です。中西橋といいます。竣工昭和47年とありますが、田川へつながる幹線道路であり、おそらく架け替えられた橋だと思います。