日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。
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景観・まちなみのこと

岩松助左衛門生誕地

白壁と板張りの壁、そして、駒寄せと格子戸。まさしく「ザ、町屋」です!

岩松家は江戸時代に長浜浦の庄屋を務めていた、岩松助左衛門の生誕地です。
文化元年(1804年)、小倉北区長浜浦で生まれた助左衛門は
40年間役を務めたのち、「海上御用掛難破船支配役」となり、
響灘沖で海難事故が起きないようにと
白洲という浅瀬に灯台の必要性を訴えつづけ、募金を募りながら、
自らも私財を投げうって、灯台建設に人生をかけた人物です。
その功績は戦前の国定教科書にも記載されたことがあります。
私利私欲、名誉名声を求めない精神で生きた助左衛門は
このまちに住む人々の誇りです。
生誕地の建物は明治時代に建てられたものですが、格子戸
のある開口部や通り土間、奥には井戸や土蔵も残り、
昔の長浜のまちの佇まいが残っています。
助左衛門さんは、この場所から、
白洲の地に灯台が建つことを願いながら、
海を眺めていたことでしょう。

真ん中らへんに見えるのが大正時代の岩松家です!

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コメント

関門海峡は、昔から交通の難所でした。多くの船が遭難し、海の藻屑となりました。
明治になり、海上交通の安全から、西は白州灯台・東は部埼(へさき)灯台が建てられました。  
白州には岩松助左衛門、部埼には僧清虚の逸話があります。部埼(へさき)灯台が建てられる以前には、僧清虚が托鉢で得た僅かなお金で、夜、篝火を焚き陸地の場所を知らせ、事故を防いだ話しです。
北九州の東西の灯台は、灯りから電波に替わろうとも、何時までも絶える事無く働き続けることでしょう。
  • 松明を掲げる僧清虚像

散策おじさん さん [ 2012-07-16 ]

戸畑音頭 さん

コメント、ありがとうございます!

「北九州の100万年」、見てみなければ!!

白洲灯台、いいですよ~!

nagahamamachinet さん [ 2012-06-13 ]

shimojono さん

はい、さっそく第2弾です!(笑)

「~らへん」、口語ですね・・・つい出てしまう(笑)

nagahamamachinet さん [ 2012-06-13 ]

1862年藩に対して白洲に灯台を建設するように願い出た。
藩の許可は間もなくおり、灯台建設への活動は開始されたが、
活動費用は215両を費やし、助左衛門が家財を売り払ってつくった30両のほかは
借金となった。しかしながら当時は幕末の混乱の中で、計画は挫折してしまった。
維新後ようやく1870年に着工され、1873年政府事業に移されて、
白洲灯台は完成することになる。ただ、岩松助左衛門は前年4月に他界しており、
完成した白洲灯台をみることができなっかた。  北九州の100万年より

nagahamamachinetさんの投稿のおかげで、もう一度、白洲灯台について、
以前、時風265 白島展示館 (入館無料)でも投稿したように
私は、この物語を含めて白洲灯台を眺めるのが大好きです。

戸畑音頭 さん [ 2012-06-12 ]

 早速の第2弾ですね。
 
 北九州市で灯台といえば門司区青浜の僧清虚が有名ですし、灯台絡みの逸話はこれだけかと思ってました。

 東と北を海に囲まれた北九州市ですから、海にまつわる話しも多いのでしょうね。

 写真の説明文の「真ん中らへん」という表現も北九州らしくて?いい感じです(笑)

shimojono さん [ 2012-06-12 ]