日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。
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歴史・伝承のこと

軍艦防波堤

響灘がまだ埋め立てられていない戦後間もないころ、 この辺りは響灘の荒波が打ち寄せる湾口部だったよう で、防波堤として「柳」、「冬月」、「涼月」の3隻の駆逐艦が沈められました。その後、響灘一体が埋め立てられたこともあり、 「柳」と同時に沈められた「冬月」と「涼月」は護 岸の中に埋没してしまい、現在確認できるものは、 「柳」のみとなっています。
「柳」は、1917(大正6)年に佐世保工廠で進水し、第 一次世界大戦の際に帝国海軍で初めて地中海で戦闘を 行った歴史的な艦船です。 地中海では、日英同盟に基づいて僚艦7隻とともにマ ルタ港を母港にドイツの潜水艇と戦いを繰り広げまし た。
「冬月」、「涼月」は、戦艦大和の最後の出撃に 直衛艦として出撃し、奇跡的に生還した艦船であ り、埋没してしまったのが残念です。
風力発電機が並ぶ響灘地区の外れにひっそりと眠る歴戦の勇士達。彼女達はこの都市を、この国を、静かに見守っています。
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コメント

戸畑音頭さん、ニッスイパイオニア館についての丁寧な説明を有難うございます。
子どもの頃、たまに乗る若戸渡船の屋外席から日水ビルを眺めたものでした。
戸畑音頭さんに背中を押していただいたので、「時風」に展示できるよう、なるべく早く出かけてみたいと思います。

maomao さん [ 2013-03-11 ]

maomaoさん
ニッスイパイオニア館については、三度も訪れたのにみなさんに時風に展示して
紹介するほど、写真等資料が現在ありません。でも、1911年に下関で創業して
1929年に北九州の戸畑に移転してどれだけ北九州の発展に寄与したかは
はかり知れないものがあり、maomaoさんの言われるように北九州の宝だと
私も思います。ぜひ、機会があれば行かれてみて下さい。

休館日   日曜日・祭日・年末年始
開館時間  10:00~17:00
入館料   無料
TEL    093-884-2042

館内説明の方の指名が出来れば ●吉さん(元 エスカル戸畑館長)
がお薦めです、北九州の歴史に詳しくて、日産のルーツ(戸畑鋳物)などの
話も途中交えながら面白いと思います。

戸畑音頭 さん [ 2013-03-09 ]

戸畑音頭さん、興味深い情報を有難うございます。ポスターを良く見てみると、近いうちに本が刊行される予定もあるみたいですね。読んでみたいです。

ところで、戸畑音頭さんのコメントに出てきたニッスイパイオニア館に興味があります。行ってみたいと思いつつ、なかなかチャンスがありません。噂から想像するに、これまた北九州市が誇るべき地域の宝なのではないかと・・・。

maomao さん [ 2013-03-08 ]

3月6日に北九州市観光協会主催の観光業務従事者研修会に参加しました。
北九州漫画ミュージアム・響灘ビオトープ・ニッスイパイオニア館をバスで
廻り、ビオトープでこんなポスターを発見しました。

 軍艦防波堤を語る会  の開催告知のポスターです。
日曜日なので私も行ってみたいとおもいます。興味ある方、みなさんもどうぞ。

日時 平成25年 4月 7日  午後1時~2時
会場 旧古河鉱業若松ビル 2階
入場 無料
  • 携帯なので申し訳ありません

戸畑音頭 さん [ 2013-03-08 ]

高塔山の戦没者慰霊碑は知りませんでした、行って、手を合わせたいと思います。

戸畑音頭 さん [ 2012-11-20 ]

菊の御紋は、確か勅任官の将官が座乗する巡洋艦以上に付けられていたと思いますので駆逐艦には付いていなかったような気がします。(不確かな記憶で申し訳ありません)
  • 盆休みに現地に行ってみたところ案内看板が新設されていました

来て見て若松 さん [ 2012-09-08 ]

kajiさんの写真は何だか風情がありますね。空の荒れ具合が雰囲気を感じさせます。

幸ちゃん さん [ 2012-08-23 ]

軍艦防波堤行ってきました。
  • 曇り空のお天気でした。
  • 船の先端。現役のころは菊の御紋がついていたのでしょうか?
  • 厚い装甲の断面。

kaji さん [ 2012-08-23 ]

航空写真みました。
武骨で勇壮な艦船の残像を、こんなにすっきりとした曲線で確認できるとは驚きです。
それにしても、「柳」「冬月」「涼月」って美しい名前ですね。
海外の軍艦の名前はどれもマッチョなものばかりですが、昔の日本のネーミングセンスって情緒豊かだったんですね。
近代日本の軍隊や産業というものは欧米の模倣に端を発しているのでしょうが、そこにいた武人や技術者の感性は、オリジナリティにあふれたとても豊かなものだったのかもしれませんね。

しかし、破滅的なあの戦争で生き残ったにもかかわらず、この三隻は鉄資源として平和利用することも許されず、ただ、テトラポットのように沈められたのですね。兵器も戦犯同様に裁かれていたということでしょうか。
戦争とはつくづく残酷なものです。

kaji さん [ 2012-02-16 ]

地図を航空写真に切替えて最大サイズに拡大して見てください。
外殻がはっきりと見えますよ。

来て見て若松 さん [ 2012-02-15 ]