旧小倉市の市章がいっぱい
■ 時風127 ■ 2012-02-28 ■ 投稿者:
あかかばん
皆さまは「旧小倉市」の「市章」をご存じですか?
小倉市(こくらし)は1963年(昭和38年)2月10日 門司市・戸畑市・八幡市・若松市と合併して北九州市となり、1963年4月1日 北九州市の政令指定都市移行に伴い、旧小倉市は小倉区となり、1974年(昭和49年)には小倉北区と小倉南区に分区されました。
今回ご紹介するのは、小倉北区堺町の小倉中央市民センター前の「上砂津橋」で採集した水道橋に存在する「旧小倉市の市章」です。
水色に塗られた部分のデザインをよく観察してください。旧小倉市の市章がデザインされています。しかも橋いっぱいです。橋のたもとに旧小倉市の市章の刻印と明治43年の製造年を基礎部分で観察することができました。いろいろと調べてみたところ、北九州市のHPで、旧小倉市の水道について次のように紹介されていました。
「旧小倉市は明治33年市制がしかれました。人口の増加につれ水道の必要に迫られた旧小倉市は、大正2年に道原貯水池及び浄水場を築造し、同年5月に給水を開始しました。その後、第1期から第3期までの拡張工事を施工し、葛牧、今町、城野の各水源地を設けました。」
給水開始が大正2年であることと、この水道管の製造年が明治43年であることのタイムラグが解決できずにいましたが、いろいろと調べるうちに、水道事業の認可が明治42年であったこと、翌43年から貯水池の築造及び関連施設の建設が始まり、同年より給水管の購入が開始されたことを小倉市史で確認することができました。
当時の記録を見てみると、旧陸軍から水道問題についてはかなり強硬な具申があり、また、兵士の健康上の問題が国防にかかわるということで、設計等については旧陸軍が最大限の協力を行ったようです。
ということで、旧小倉市の市章、まだまだ小倉のまちに眠っています。
路上を観察してみませんか。
ちなみに映し出された「影」も 旧小倉市 市章でした。
粋ですね。
小倉市(こくらし)は1963年(昭和38年)2月10日 門司市・戸畑市・八幡市・若松市と合併して北九州市となり、1963年4月1日 北九州市の政令指定都市移行に伴い、旧小倉市は小倉区となり、1974年(昭和49年)には小倉北区と小倉南区に分区されました。
今回ご紹介するのは、小倉北区堺町の小倉中央市民センター前の「上砂津橋」で採集した水道橋に存在する「旧小倉市の市章」です。
水色に塗られた部分のデザインをよく観察してください。旧小倉市の市章がデザインされています。しかも橋いっぱいです。橋のたもとに旧小倉市の市章の刻印と明治43年の製造年を基礎部分で観察することができました。いろいろと調べてみたところ、北九州市のHPで、旧小倉市の水道について次のように紹介されていました。
「旧小倉市は明治33年市制がしかれました。人口の増加につれ水道の必要に迫られた旧小倉市は、大正2年に道原貯水池及び浄水場を築造し、同年5月に給水を開始しました。その後、第1期から第3期までの拡張工事を施工し、葛牧、今町、城野の各水源地を設けました。」
給水開始が大正2年であることと、この水道管の製造年が明治43年であることのタイムラグが解決できずにいましたが、いろいろと調べるうちに、水道事業の認可が明治42年であったこと、翌43年から貯水池の築造及び関連施設の建設が始まり、同年より給水管の購入が開始されたことを小倉市史で確認することができました。
当時の記録を見てみると、旧陸軍から水道問題についてはかなり強硬な具申があり、また、兵士の健康上の問題が国防にかかわるということで、設計等については旧陸軍が最大限の協力を行ったようです。
ということで、旧小倉市の市章、まだまだ小倉のまちに眠っています。
路上を観察してみませんか。
ちなみに映し出された「影」も 旧小倉市 市章でした。
粋ですね。


