北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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昭和47年(1972)頃撮影 東部地区に最後まで残っていた三宅組の現場です。

藤ノ木貯炭場

昭和47年(1972)撮影 西部地区で守田組の現場がありました。
昭和44年頃(1969)撮影 宮丸町、唐戸町方面と貯炭場です。
明治24年若松~直方間に鉄道が開通後、筑豊炭田各地へと延伸していきました。明治24年、筑豊炭のうち鉄道輸送による物は約32千tで、3%程度でした。それが明治28年には、1,232千tで59%と逆転しています。若松への着炭量も増え、旧桟橋の老朽化もあり、新桟橋が大正4年に完成、昭和15年まで延長改良の工事が行われたようです。こうして誕生した藤ノ木貯炭場でしたが、戦後のエネルギー革命により、1970年代の初め頃にはその役割を終えました。こうした事実を伝える石炭資料館が、若松にも市内のどこにもないのは、実に残念な事です。