黒崎
■ 時風2616 ■ 2015-05-11 ■ 投稿者: stella
50年前、黒崎は大都会だった。
両親に連れられ西鉄電車でやってきた。
すごい人、人、人。横断歩道や商店街は大勢の人だった。
国道3号線の、幅の広い電停に人があふれ、頻繁に来る電車はどれも満員だった。
井筒屋は当時、八幡井筒屋と呼ばれ、「黒崎に出店するとは先見の明があるね」と言われていた。
駅前に移転した井筒屋。
伝統の看板がコムシテイと安川電機の建物に映る。
時代の流れを感じる。
両親に連れられ西鉄電車でやってきた。
すごい人、人、人。横断歩道や商店街は大勢の人だった。
国道3号線の、幅の広い電停に人があふれ、頻繁に来る電車はどれも満員だった。
井筒屋は当時、八幡井筒屋と呼ばれ、「黒崎に出店するとは先見の明があるね」と言われていた。
駅前に移転した井筒屋。
伝統の看板がコムシテイと安川電機の建物に映る。
時代の流れを感じる。