北九州市 時と風の博物館

日常の中で見過ごされがちな北九州市が誇るべき魅力や個性を、地域資源として私たち自身で編纂し、未来へ繋げましょう。

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お月さま、こんばんは。

普段着のまま、泣いて家を出たから、仕方なく追っていく。
(夜なんだ、腹立ちまぎれに、女が一人で街をウロツクなよ)
駅前の広場で、追いついた。
妻は歩調を緩めない。
だから二人でカケッコみたいになった。
(どこに行くつもりなんだよ)
息が切れてきた。
「あら、今日は噴水が出ていないわ」
足を止めて、目を丸くしている。
(ふん、ケンカして飛び出したくせに、噴水の心配かよ)
「いつもあるものが、ないと淋しいね」
「まあ、な」
「あッ、お月さま…」
(いい齢をして何がお月さまか…なんていま言ったらブチ壊しだぞ)
仰向いた妻の喉が白い。
レトロな駅舎の上に、孤独な月が張り付いている。
(お月さん、こんばんは)
気が付けば、夜の街で二人が肩を並べているなんて、
最近は一度もなかった。
ケンカの原因は、かならずしもおれが悪いわけではない、
だが、とりあえず、
「さっきは、おれが……」
妻の目がキラッと光った。
「あ、焼き鳥の屋台だ。いいなあ、キモ、ハツ、ズリ、タン、バラ」
(なによ、それ)
「柔らかい指が、おれの手にからみついてきた。
妻の手のひらは一年中あったかい。
チノパンツのポケットに、いくら入っているか、
おれは胸算用をはじめた。
門司区・門司港駅前
(現在は解体改築中で、この駅舎と月は幻となりました)